長らく皆様方に見ていただいた「せいふう猪名川」ホームページのスタッフブログが終了し、次回からはインスタグラム(以後、インスタと略します)へ移行します。
その文言を盛り込んだ最終回のブログを書くようにと、つい1週間前に担当者から連絡がありました。
皆様はブログとインスタの違いをご存知ですか?
もちろん私は知らなかったので、さっそくYahooで検索し、複数の若いスタッフにも質問しました。
一言でいえば、ブログは「読む」、インスタは「見る」が中心です。
ブログはストック型ツールと言われ、写真もありますが文章が中心の記事で、書く側の情報や記事がストック=蓄積されます。これに対し、インスタはフロー型ツールと言われ、簡単なコメントもありますが写真が中心となり、アプリをインストールしてログインすると、次から次に関連の写真や情報がフロー=流れるように展開されます。フォロワー数で注目度も分かります。いわゆるパソコン時代からの幅広い世代はブログ派で、パソコンからスマホへと爆発的に移行していった若い世代の多くがインスタ派とも言えますが、もちろん両者を共有している世代も多くいます。それぞれに長所と短所がありますが、時代の流れとしては、今後はインスタ派が多くなっていくと思います。
私は「ブログ派」でしたが、徐々にインスタにも慣れていくつもりです。
すでに隣接の今井病院や、関連の介護老人保健施設「ふれあい大島」ではインスタが開設されていますので参照してください。次回からは、当施設のインスタに対する積極的なフォローをよろしくお願いします。
(施設長 龍田眞行)
明けましておめでとうございます。
今年も「せいふう猪名川」をよろしくお願いします。スタッフ一同も気持ちを新たにして頑張ります。
コロナ感染の第6波が非常に心配ですが、当施設では、3回目のワクチン接種も対応できる体制を
とっています。
さて、今年は寅年ですが、犬のお話です。
今春で13歳になる柴犬「ハナ」は、私が当法人に
赴任した時とほぼ同じ時期に、ペットショップで
買いました。
舌が少し口から出ているからか、半額になって
いましたが、愛嬌のある元気な子犬でした。
当初はゲージの中で飛び跳ね、エサは一瞬で食べ、
さらには油断すると自分の「うんち」まで完食していま
した。しかし、意外と温厚で、吠えたり嚙みついたりは
一切せず、布団に粗相をしたり靴や家具をかじること
もありませんでした。3歳の時は、当施設の前身である「せいふう」に来て、入所されている方々にもかわいがってもらいました。
当時は、家族4人と先輩猫、先輩犬との大家族でしたが、時は経ち、2年前から私と「ハナ」との2人?生活となりました。
朝晩の約30分の散歩が日課となっています。性格がいいので、近所の人たちからも「ハナちゃん」と、よく声をかけられ、愛されています。昼間は日当たりの良いところを転々と移動して、大人しくしています(と思います)。
高齢犬となりましたが、食欲は衰えず、歩行もしっかりしています。娘や息子たちがたまに来た時は、スリッパを咥えて出迎えますが、以後はのんびりと寝そべって離れたところから見つめています。
孫には、なされるがままにしていますが、若干迷惑そうです。
老々介護の状況になりつつありますが、お互いの健康維持のため、朝夕の散歩は続けます。
(施設長)
若い頃は、ほぼ毎冬、北海道や東北に行き、スキーを楽しんでいました。
スキーシーズンは大雪の時期でもあります。
暴風雪で帰りの飛行機が欠航になったという経験が3回ありました。
1回目は、35年くらい前、家族3人で函館に行ったときです。
当時は阪大病院の非常勤医師でした。家内は二人目の子を妊娠中だったため、スキーはせずに大沼公園での雪遊びが主でした。
最終日は暴風雪のため函館空港が全便欠航となり、急遽、近くの湯の川温泉に宿泊しました。翌日は、熱帯植物園やトラピスト修道院など函館市内を観光し、娘は大喜びでした。夕方に羽田経由で伊丹空港に戻り、家内と娘は自宅、私はアルバイト先の当直病院に直行しました。
2回目は20年くらい前、大阪府立成人病センター(現在の大坂国際がんセンター)に在職中でした。やはり、帰路が欠航となりました。翌日は手術日だったので電話で残留メンバーに謝り倒したあと、札幌市内のホテルを予約し、「すすきの」で食事をしました。
翌朝の便で昼前には戻ってきましたが、複数医師の遅刻のために予定手術に支障を生じ、上司から大目玉をくらい、「地を這ってでも帰ってこい!」と言われました。青函トンネルができて飛行機でなくても帰ることはできますが、距離が遠すぎるため、その後は行先が東北になっていきました。
3回目は15年くらい前、その東北の安比高原でスキーをした時の帰路です。
この時は勤務先が市立堺病院(現在の堺市立総合医療センター)でした。
飛行機は欠航しましたが、東北新幹線は動いていたので、花巻から東京まで新幹線に乗り、東京で大阪行きの夜行バスに乗り換え、翌日早朝に帰阪しました。
JR吹田駅(当時は吹田市に住んでいました)まで家内に車で来てもらい、荷物を置き、車内で着替え、かろうじて9時前に病院に到着しました。非常に疲れましたが、何とか通常業務ができました。
いずれも今となっては懐かしい思い出です。
(施設長)
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